PICK&UP No.16 株式会社オイタミート -東松島市-
(全3回・第2回目)
及田会長に聞く、オイタミートのルーツ。
人との縁が紡ぐオイタミート誕生ヒストリー。
株式会社オイタミートは会長の及田賢治さん(写真中央)のご両親が昭和32年に東松島市(旧矢本町)で精肉小売店と養豚業を創業。
「日本人もこれからは肉を食べる時代だ。」
第二次世界大戦後の昭和30年頃、航空自衛隊松島基地の前進である東松島市(旧矢本町)のアメリカ進駐軍のキャンプで働いていたご両親が、軍人の大きな体格を見て、「これからはしっかりとした身体になるためには、日本人も肉を食べなくては。」と思い、宮城県東松島市(旧矢本町)で及田精肉店と養豚業を創業したのがオイタミートの原点。
両親の背中を見て育った及田会長
大学進学で上京した先の精肉店で見習修行を
ご両親がお店を切り盛りする背中を見て育つ中、及田会長は石巻商業高校から千葉商科大学へ進学。在学中、東京都江戸川区小岩の三浦精肉店で見習修行バイトを始めました。このバイトが後のオイタミートの社運を決めるターニングポイントとなる出来事に繋がって行きます。昭和50年、大学卒業と同時に地元に戻り及田精肉店に就職し、肉のカット業務を始める。結婚し、会社も翌年法人化し人生も事業も大きく変化する中、昭和54年に突如決まった石巻屠畜場の廃止。その代わりに、さらに離れた米山町に(株)宮城県食肉流通公社が作られる事になりました。屠畜場と仕入先が遠く離れた事で、時間・日数と運ぶ燃料費が大幅に増えてしまい初代社長は頭を悩ませていました。石巻地域の同業者も皆、不安な気持ちでした。当時、及田会長は、家族経営で小売店と飲食店・給食関係・卸業務の他、養豚と家畜商の仕事もあり日々大変忙しく休みは月に一度有るか無いかだったそうです。そんな忙しく不安だったある夜、寝ていた時に大学時代にアルバイトをしていた三浦精肉店の社長さんが夢に出てきました。当時、先行き不安で藁をもつかむ思いだった現会長はなんとか休みが取れた日に東京へ行くことにしました。
石巻屠畜場が廃止となり、
米山町に移る時の石巻地域同業者の困惑
大学卒業後、5年ぶりに上京した及田会長を待っていたものとは…
東京小岩駅に着いた及田会長( 当時27歳) は、大学時代にお世話になっていたバイト先、三浦精肉店を訪ねました。お店に到着し、戸を開けようとすると何やら中で込み入った話をしている様子。( 昭和50年代は関東圏にどんどん大手スーパー・デパートさんが出店している時代でした。) 都内の大手スーパーに肉を卸している会社の担当者が、下請け先の処理が悪くクレームが多くて困っていることを相談に来ていた。そこに突然ひょっこり現れた及田会長に驚くやいなや再会の喜びも束の間に、三浦社長から運命を変える一言が・・・
「及田君、あなた真面目で良い仕事する人だから
是非、やってみないか?」
突然現れた及田会長に、かつてのバイト時代の仕事ぶりを思い出した三浦社長から、白羽の矢が立ったのでした。及田会長は、突然舞い込んだチャンスにすぐ様応えるべく、地元に急いでとんぼ返りしました。早速その晩から豚肉を丁寧に解体しサンプルを作り。レンタカー( トラック) を仙台まで借りに行って矢本から東京へ納品し、トラックを上野駅に返却して夜行列車で宮城に戻りました。その迅速かつ丁寧な仕事が評価され、東京都江戸川区の関東食肉株式会社と取引が決まり、旧本社敷地内( 矢本) にプレハブ作業室5坪とプレハブ冷凍庫2 坪を急いで建て、一人でスタートしたのが( 株) オイタミートの製造卸売業務の原点です。
それから、休む間も無く宮城と東京を往復し、丁寧に処理をした豚肉を関東へ届けました。その頃、長女の幸栄さん(現在、専務取締役)が誕生し、まだ幼い幸栄さんと奥様とをトラックに乗せ、一緒に宮城から東京へ納品へ行ったこともあったそうです。
その後会社の成長と共に、大塩のグリーンタウン工業団地へ工場を新築移転。長女の幸栄さんは高校卒業後、全国食肉学校で学び、さらに東京のマイスター村上で修業、ハム・ソーセージ作りの修行を終えて、技術資格を取得。平成23年に起こった東日本大震災の被害により、ハム工場・スライス工場の新築着工は中断となりましたが翌年完成し、ハムやウインナーの製造が開始されました。令和2年に三代目の代表取締役社長として幸栄さんの夫、欣哉さんが就任。まさに家族二人三脚で会社を支えてきました。
毎日、目の前にある仕事を真面目に丁寧に
やっているだけで誰かが必ず見てくれている
三浦精肉店の社長との再会と新規契約は、及田会長の学生時代の日々の真面目な仕事ぶり、誠実さが後に自分の人生を良い方へ導きました。その経験から、及田会長は従業員の給料は、社員もパート・アルバイトも頑張りをちゃんと評価して、賞与を与える事にしているそうです。
「誰でも、頑張っても何も変わらなかったらモチベーションが下がる一方で、頑張ったら見ていて欲しいし、評価されたら嬉しいでしょう。だから、頑張りを評価してイキイキと働いてもらいたいと思っています。」と及田会長。
家族で会社をしてきたからこそ
大切にしたい従業員の人生
「人は誰でも急な用事が生まれたりする。自営業だから子どもを育てながらの仕事の大変さはよく分かる。その部署ごとに折り合えがつけば休む事も気兼ねなくできるし、何でも部署ごとに話し合いで決めてもらってます。それに一生懸命にやっていれば2~3ヶ月もすると覚えられる仕事が多いから、気負いせずに楽しく働いてと皆に話しています。」
家族で会社をしてきたからこそ、ルールで規則をがちがちに固めないで、話し合って決められる人間らしい会社作りをされています。
これからは豚へ
感謝と恩返しとお詫びのために
及田会長は、人の栄養や、私たちの生業として命をいただいてきた豚へ感謝とお詫びの気持ちで、豚肉の今まで捨ててきた部分を生かせるような研究を、学者と共に始めています。オイタミートは地元の食と職の笑顔のために、これからも家族、社員二人三脚で、成長し続けていきます。
年齢性別、経験問わず、募集中。
求職者さん是非、お問い合わせください。
オイタミートは、創業者の〝地元を大切にする想い〟を受け継ぎ、〝新しいオイタミート〟を目指しアップデートし続けています。
地元東松島市の美味しい食卓を作って来たオイタミートの夢を共に作りたいと思ってくださった方は、下記のご採用お問い合わせ窓口へ、是非お問い合わせください。
文:上野恵美 写真:狩野良介
株式会社オイタミート
住所 宮城県東松島市大塩字緑ヶ丘4-3-6
採用お問い合わせ窓口 TEL 0225-82-2983
営業時間 9:00 ~ 17:00
定休日 第1・3 土曜と日曜日