PICK&UP No.14 有限会社アグリードなるせ -東松島市-
農業をリードする、アグリードなるせ。
東松島市野蒜地区で「農地を守り、地域と共に発展していく」という理念を掲げ、
農業に取り組むアグリードなるせ。
新しい農業のカタチは何か、歩み続けるアグリードなるせの原動力になっているものとは。
アグリードなるせの歩み
“米をたくさん作る時代”から“美味しい米を作る時代”へ
1980年頃、人々の生活は豊かになり、たくさん作る時代から“美味しい米”を作る時代が始まりました。
野蒜地区でも“今の時代に合った農業のやり方”を模索し、地域の農家がまとまって共同で農業をする“集落営農”をおこなうため、1991年に中下農業生産組合が発足。その後、『アグリードなるせ』が設立されました。
2011年、未曾有の災害の直後…
「ぜったいこの田んぼで、今年米を作る」
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、野蒜地区は甚大な被害を受けました。
JR仙石線の線路を挟んで当時約40ヘクタールあった田んぼも海水に浸ってしまい、津波で運ばれてきたがれきとヘドロで覆われ、農業ができる状況ではありませんでしたが、線路の近くにあった約2メートルの昔の線路跡が津波の勢いをさえぎったおかげで、線路より内陸の田んぼはがれきやヘドロの被害が少なくすんだのです。
安部会長はその田んぼを見たとき「米を作りたい。米を作らねばならない。」と思ったそうです。
震災から20日がたった4月1日。安部会長はアグリードなるせの仲間たちに「今年から米を作りたい」と伝えました。“米が実っているところを見せてみんなに元気と希望を”とアグリードなるせの想いは一つとなり、被害の大きかった野蒜の地でその年に米を作ることを決心しました。
海水に2週間以上浸かった田んぼに含まれた大量の塩の排除やがれきの撤去など農業再開への様々な壁にぶつかりながらも、地元の人やボランティアの人々、農業のこれからを共に見据える仲間などの協力で米作りは進み、『米を作る』そう決心した半年後の2011年10月1日、アグリードなるせの田んぼで豊かに実った米が収穫されました。
あの震災の直後、すぐに立ち上がり「農業を守りたい」「今できることをしよう」「地域に明るい光をともしたい」「ぜったいこの田んぼで、今年米を作る」と歩み続けたアグリードなるせは、その後も足を止めることはなく新たな挑戦を続けています。
さらなる一歩、最先端の農業への挑戦
震災後、多くの農家が離農し、その農地の約9割がアグリードなるせに集積され、経営面積は約100ヘクタールに拡大しました。広くなった農地を運用していくために必要な人手を雇用するには、生産物のみの収入では難しい状況となり、省力低コストの栽培技術の導入と経営の安定化を図るため6次産業化への取り組みを開始。
2019年3月には、“若者が憧れる魅力ある農業”の実現を目指す事業のひとつ「スマート農業加速化実施プロジェクト」に採択されました。
年々農業人口の減少と高齢化が進む中、農業の技術を継承しながら、若者に農業の魅力を伝えるために、ロボットトラクターや自動走行の汎用コンバイン、ドローンなどのロボット技術やAI(人工知能)を活用した農業を取り入れた新たな農業「スマート農業」への一歩を踏み出しました。
変わらずに大切にしているものとは
5月を過ぎ、田畑は草刈りハイシーズンに突入。想像よりも早いスピードで雑草が育ってしまうため、毎日草刈りをしなければいけません。
広い農地を持つ分、草刈りが必要な面積も多く、自動走行式の草刈り機を使っても大変な重労働です。
生産部の門馬部長にお話を聞いたところ「草刈りは“良い作物”を作るためにはとても大事な作業。梅雨になると麦などにカビが生えやすくなるため防除が必要な時期になる。雑草があると風通しが悪くなるので、手持ちの電動草刈機などで細かいとこまで草を刈っている。」教えてくれました。
草刈りの他にも、田植えや播種など様々な場面で無人作業や自動化を進めているが、大事なところや細かいところは人の手と目と経験で農業を支えているアグリードなるせ。
農業の職人たちの技術とスマート農業の技術が混ざり合うことで、我々は安心安全な美味しいお米を食べることができています。
知っているようで知らない農業の世界、ぜひこの機会に「これからの農業」について考えてみませんか?
写真:同社提供 文:酒井志帆
有限会社アグリードなるせ
有限会社アグリードなるせ
〒981‐0411宮城県東松島市野蒜字神吉5番地1
電話: 0225-88-3645