PICK&UP No.40 株式会社梅本自動車工業 -東松島市-
-命を運ぶ自動車販売-
先代の社長からの教えは
「お客様を家族と同様に考えなさい」
今回は、東松島市で自動車会社を営んでいる株式会社梅本自動車工業のご紹介。高校を卒業して初めて車を買う方、ご年配の方、車の事でお困りの方、野菜を持って顔を出す方、ペットを見せに立ち寄る方、業者さんたち。毎日、地元の方が朝から夕方まで集まる、優しい空気が流れる町の自動車屋さん。その魅力に迫りました。
昭和54年創業。車社会の幕開け。
先代の社長が
「これからは車社会の時代だ」と
自動車会社をはじめた
インタビューに答えてくださったのは、二代目の代表取締役の梅本浩延さん(以下梅本社長)と、梅本社長の妹さんでサービスフロントの高橋富美子さん。株式会社梅本自動車工業は、昭和54年石巻市門脇にて梅本自動車工業を創業し、同時に仙台陸運局(現、東北運輸局)に普通・小型・分解整備事業の認証を得ました。車は一家に1台以上という時代とともに自動車整備・修理・鈑金、自動車販売、自動車保険を取り扱い、自動車全般の事業を発展させてきました。
創業当初、毎日のように
まだ舗装されていない道を抜け
雄勝、牡鹿地域へセールスに
現社長の父で先代の社長が創業した頃、自動車ブームが到来しており、乗用車やトラックの販売と整備で大忙し。地元の津々浦々にセールスに行き、契約を決め、納品に向かう毎日だったそう。先代の社長の長男、浩延さんが現在の社長で、妹の富美子さんがサービスフロントとして従業員と共に会社を支えています。
先代の社長の教えは、書いて覚える事。
お客様を家族と一緒だと思って
考えてあげることの二つだった。
梅本社長が石巻工業高校を卒業後、北海道自動車短期大学の自動車整備科(現、北海道科学大学)に入学し整備の国家資格を取得し、父の経営する梅本自動車工業へ入社。当時は、工場で整備を中心とした仕事をしており、販売には全く興味が無かったそうです。先代の社長から教わった事を尋ねると、「何かを特別に教わった記憶は無いんだけど、背中を見て覚えた感じだね。ただ、お客さんに何を提案するか考える時は、自分の家族や身内だと思えば何を言ってあげたら良いか判断が簡単でしょう。と言われてたね。どこまでやってあげるかとか、車の選び方とか。言ってあげなきゃならない事は躊躇せずすぐ言うお客さん第一の親父だった。だからいつも人が集まっていた。」と、梅本社長。
「そうだね~。いつもそう言ってたね。お客さんには駄目なときは駄目、数年後に検討した方が良い時とか、安くて悪い車は結果的に大変になるような時とか、その人のためを思って最善の提案を勧めるようにと言われていたね。」とサービスフロントの高橋さん。
先代の想いをしっかりと受け継いで、車検も安値重視ではなく、車検本来の意味を大切に、いつも見続けているお客様の車だからこそ異変にいち早く気づいて未然に事故や故障を防ぎ、早めに気付いてメンテナンスをすれば結果的に費用面でも貢献できるように提案することを心がけているそうです。
“命を預ける乗り物だからこそ”
誠実な提案が信頼に繋がっている
高橋さんは、入社当初を振り返って「先代の社長の教えは、今思うと凄く計算されていたのか、後々自分の力になっていると気付きます。電話で済むことであってもわざわざ陸運局に出向いて必要な事をメモしてくるように言われたり、また分からないと電話ではなく行ってくるようにと。大変な労力だからこそ自ずと、その一回で覚えるものなんだよね。顧客情報も車種型式を全て書いて覚えさせられたの。そうすると車に詳しくなってくるの。自然と覚えるようにしてくれていたんだと思うんだよね。」と、懐かしそうに語ってくれました。
「電気屋、魚屋、工場、
お客さんが皆生きていたから。
やんねげねーな!」
東日本大震災から再出発
2008年、先代の社長がお亡くなりになり、梅本社長に代わりやっと仕事の流れが少しずつうまく流れてきた頃。2011年3月、未曾有の大災害に見舞われ、残念なことに会社も工場も津波によって流されてしまいました。津波で変わり果ててしまった会社を見て、社長は立ち止まり「もう会社を締めるしかないな。」と呆然としていたところ、工場長の長谷川さんとお客さんから続々と連絡が入り「社長、もう一回一緒に頑張りましょうよ!!」「社長!もう俺動いてるよ!早く社長も動こうよ!!」と励まされ、プレハブ1つと、、手元にあった現金300万円を元手にノートパソコンと山形で積載車を買い、しばらく仲間の工場を借りて再開しました。
夜明けとともに起きて
夜中まで無我夢中で車を手配した
津波被害で大混乱の沿岸地域。水没した車の引き揚げや、新しい車を購入したいお客様から次々に連絡が入り、梅本社長と高橋さんは、積載車で水没した車を回収し、新幹線で東京に車を買いに行き、社員さんたちは自転車で通勤し自動車を修理。自動車保険の手続きの処理も殺到し、深夜まで仕事をする日々。その繰り返しで、その年の8月のお盆過ぎまでの記憶があまり無いくらいに忙しさを極め、季節も忘れるほどだったそうです。「お客さんの存在と社員が原動力になった。周りにたくさん助けられた。」と梅本社長。
新社屋と工場を建て直し
新たなスタートをきる
2011年11月、グループ補助金を受け、東松島市赤井に車検と鈑金ができる工場を建て本格的に再建を果たしました。梅本社長の大切にしていることは何なのかを改めて尋ねると、「仕事は忙しくやっても、ゆったりとした気持ちでやっても同じであれば、ゆったりとした気持ちで、丁寧に確実にやる方が良い。車検は厳しく、グレーは通さない、問診が悪いと余計な所を直して余計に費用がかかる事もあるから、しっかりと見ることを大切にしている。何よりもお客さんの安全を一番に考えてる。」と、梅本社長。工場の皆さんも真面目で穏やかな方ばかりで、自動車を大切に扱っている事がすごく伝わってきました。
ゆったりとした気持ちで
丁寧に確実に、車と向き合う
元気なうちはずっと続けて行きたいと語る梅本社長に、最後に一言頂戴したいですとお願いしたら「車の事ならなんでも聞いて!それ以外はダメだけど!笑」と、にっこり笑っていました。こんな時代だからこそ、直接会って相談できる真面目一筋の自動車会社との出会いは大切だと思う今日この頃。ぜひ気になった方は訪れてみてください。きっと家族を迎えるような笑顔で迎えてくれますよ。
文:上野恵美 写真:酒井志帆
株式会社梅本自動車工業
宮城県東松島市赤井字台57-15
tel. 0225-83-3011